中国の「生」の声

2009年春。

はじめに個人的な事を申し上げると、海外で現地の小学校に通っていたある日、教員が南京事件などをテーマとした抗日映画を授業で流した。見終わった後、クラスで唯一の日本人だった私はただでさえ気まずかった上、あるクラスメート(中国人ではない)からは心無い言葉を浴びた。一方で、前後の授業では全くこの事を取り扱わなかった上、そもそも事件の存在さえ初めて知った自分からは何も発信できなかったため、悶々とした日が何日か続いた。

 

2019817日。

上記のような経験があったため、自分は南京事件に興味がある方だと思っていた。そして、中国南京を訪れたからには中国側の視点からこの事件を見たいと考え、昼過ぎに侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館へ向かった。展示の各部分に目を向けると、例えば地図や地下鉄の駅名などで見覚えのある場所が、80年前は多くの犠牲者が出た現場となっていた(午前訪れた中山陵のある紫金山でもやはり事件があった)という事など、衝撃を受けたものもあった。しかし、展示が「平和を志向・堅守すべきであるし、歴史も記憶すべきであるが、恨みは継続すべきではない」という、予想より「強くない」言葉で締められていた事もあり、展示全体に対する具体的な感想は自分としては持ちづらかった。

まず、過去に日本側が中国で悲惨な事件を引き起こしたのに、先述の締めの言葉を中国側の立場として素直に受け取るのには違和感があった。だからといって、恨まれた方がいいのかと言われればそれも違う。今回の研修は、日本人であるという理由では他人から嫌な顔をされなかったおかげで楽しめた面もあるし、これからも中国の人と関わっていく中で、前の世代がした事を過剰に意識する事こそ好ましくないからだ。それならばやはり「平和の志向・堅守、歴史の記憶」をしていくべきなのかもしれないが、自分の中ではこの大きなテーマを咀嚼できておらず、この方針で問題と向き合うべきとも断言できない。

実際に悲劇の起きた地でもある薄暗い紀念館を抜けた頃には、既に夕方であり、南京郊外の高層ビル群が澄んだ空にそびえていた。街並み自体からは事件の傷跡は感じられないが、順路を埋め尽くす人々(大半が中国人であろう)はどんな気持ちを抱いて去っていくのだろうか。屋外では無邪気に歩く子供たちの心の中には何が残っているのだろうか。

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2019818日。

この日は、本研修の直前、東大での交流会で会った南京大生と南京郊外の牛首山へ行った。そこにあるのはつい3年前に建造された仏教建造物であるが、最近の建築にしては装飾がかなり凝ったものだった。

観光の途中、突然南京大生の方から最近の香港情勢についてどう思っているかを聞かれた。向こうの視点は「これまで香港は自由すぎた」、「明らかに外国が裏で介入している」といった「中国寄り」のものであった上、一部事実認識が一致しない所もあったが、生身の人間との会話でこのような不一致があった事を興味深く感じた。また、昨今の日韓の輸出管理見直しも少し話題に挙がった。この数分の会話は、それまで中国の人と「当たり障りなく」接する事が多かった自分にとっては、非常に新鮮だった。南京事件に関しては、まだ自分が知らない事も多い上、知り合って間もない日本人に聞かれても答えにくいだろうと思い結局触れなかったが、今後機会があれば話したい。

 

地理的にも文化的にも近い関係にある日本と中国との間には、古代から続く交易をはじめとする正の面、戦時中の出来事をはじめとする負の面が絡み合った、非常に密接かつ複雑な関係があるといえる。特に負の面に関しては、日本側の立場を引き続き学習・理解するのは勿論、中国側の立場の一側面として、上記のように中国人の意見を(今度は中国語で発せられた「生」のものを)理解した上で、最終的に自分がどのような方針で向き合っていくかを考えていくようにしたい。

 

(S.H.)

 

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