中華にて。

十年一たび覺む揚州の夢。三週間に及ぶ研修の締めとして、我々は昨日から風光明媚の代名詞たるこの揚州を訪れている。晩唐の詩人、杜牧は十年かかってやっと揚州の夢心地から目覚めたらしいが、現代の学生たる僕は二日目にして揚州の夢など大陸の広大な空の彼方へと吹き飛んでしまった。何故かって?何を隠そう、今日は進学選択第一段階内定者発表日だったのである。優秀な同学们が続々と内定するなか、僕は、、、、、、お察しください。まあ、第二段階もあるし。ほら、杜牧だって進士に登第したのは25歳だし、まだまだ人生なんとかなるさ。などと自分を慰めながら午後を過ごしていたので正直日報どころではない。正直、日報どころでは、ない。20180824_02

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南京の昼下がり

3週間に及ぶ南京研修も、いよいよ終盤に差し掛かっている。授業最終日である今日は午前中に期末試験が行われ、午後は自由時間であった。

結果はどうあれテストを終え、晴れ晴れとした気持ちでホテルに帰った私は午後の予定を考えた。めぼしい観光地はすでにまわってしまったし、遠出するのも億劫だ…。あれこれ悩んだ末、紀行文なんかでよく見るハートフルな発見を期待して、これまでお世話になったホテル周辺を散策することにした。

ホテルのほど近く、珠江路はなかなか大きな通りで、道の両脇にはご飯屋さんや超市(スーパーマーケット)が並ぶ。歩道におもちゃや果物を並べて売る出店もあり、今日も見慣れない果物を眺めていたら声をかけられた。一斤十块钱(500グラム10元)!と言いながら容赦なく果物を袋に詰めてくるので、慌てて不要,不要と首を振る。南京の出店の主人は概して威勢が良く、いつも声を張り上げて通りを賑わしている。対照的なのは超市の店員さんで、はじめはスマートフォンで動画を見ながらお釣りを叩きつけてくるのに閉口したが、今ではすっかり慣れてしまった。

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一区切り

朝は、慌ただしいものである。

これは世界のどこにいても、不変の事実なのだろうか。日頃から睡眠の余韻をとことん味わいがちな私は、ここ南京にいても眠い目をこすりながらドタバタした時間を過ごしている。加えて、今朝は食事にミニトマトが復活し(なんと、ここ二日間なかったのだ!)、トマト好きの私としては当然おかわりせざるを得なかった。口に含んだ瞬間に広がるトマトのみずみずしさ、これもまた世界共通のものらしい。南京に来てからというもの油っこい中華料理を日常的に口にするようになっている私にとって、その美味しさは日本にいたときよりも一層格別なものに感じる。

来た当初は耐え難いものがあった南京の蒸し暑さも、台風の通過とともに幾分和らいだのか、はたまた単に自分の身体が適応しはじめただけなのか、もはや日常の一部となり気にならなくなっている。南京での日々に別れを告げる日も近づきつつあり、出会いの挨拶よりも別れの謝辞を述べる場面が増えてきた。これを書いている現在は既に過ぎ去りし「今日」8月21日は火曜日、青空が一面に広がる過ごしやすい一日であった。続きを読む »

知らない世界を知る、そういう想像力

サマースクールもついに3週目を迎えた。授業はあと月火水の3回しかない。南京に来てから平日の午前中は4時間も中国語に晒され、午後は出先で中国語を使い、ホテルに戻ったあとも予復習。このような生活が2週間も続き、着実に自分の中国語力が上がっているのを感じる。授業はすべて中国語で行われているから、当然自分が言いたいことは中国語で自分で組み立てなければならないし、中国語で発される問いもきちんと聴きとり理解する必要がある。たった2週間とはいえ、これだけ濃密な時間を過ごしていれば、ますます中国語力も、また、中国での生活に対する理解も向上していく。中国語の授業も先生が非常に熱心であり、得るものは非常に大きく、あと3回で授業が終わってしまうのが非常に残念だ。2日後の授業最終日には、私のクラスではディクテーション・作文の試験および中国語でのスピーチがあり、その準備もしなければならず、みな一定程度自発的に中国語を勉強する時間を確保しなければならない。

今日の午後は、中国語による授業があった。さすがにすべてを聴きとるのは現時点では不可能であるが、先生はできるだけゆっくり丁寧に話してくださり、ついていけないということはなかった。授業の内容は「中国における弱势群体への社会的支持と教育」というものだった。弱势群体というのは、経済力が弱く困窮状態にある社会階層のことである。失業者や失地農民、農民工(農村から都市への出稼ぎ労働者)、障害者などが多く含まれ、中国の総人口の11-14パーセント、つまり日本の人口を上回る1.4-1.8億人がこの弱势群体に該当するといわれている。障害者は約8500万人おり、そのうち聴覚障害者は2075万人だという。今回の講義は、この聴覚障害というものに焦点を当て、彼らの社会生活や教育について考えるものであった。私は今までいわゆる「聾者」という人の存在、および彼らが見ている世界、生活上の困難、文化などについて深く考えたことはなかったし、勉強したこともなかった。そのため当たり前だが見えていなかった世界がこの授業をきっかけに多少とも切り拓かれたと思う。続きを読む »

太阳雨(お天気雨)

 本日の南京は、どっちつかずであやふやな天気模様で、さながら私の性格のようであった。午前中は曇りだったが、午後になると、降ったり止んだり、それも大雨の時もあれば小雨の時もある、という調子で、時折太陽が顔を覗かせたりもした。

 午前中は、南京虐殺記念館に行った。記念館は、無料で観覧することができ、荷物検査があるのみである。入り口から建物までは少し離れていて、その間には被害者の彫像や、被害者数を大きく掲げた壁面がある。南京大虐殺の被害者数に関して、私は何か特別な意見を持っている訳ではないが、「30万人が犠牲になった」という見解を前にして、私は頼りなさを感じ、立っているのが辛く感じた。建物の中に入ると、広く暗い部屋に被害者の写真が展示されていた。私は建物に入った直後から気分が落ち込み、周りの人に押されながらふらふらと進んでいった。そこに展示されているのは、「史実」だった。それは直視するたびに心を突き刺す刃のようで、私は虚脱感に苛まれた。展示資料をじっくり見たり読んだりできない自分に情けなさを感じつつも、それらをYou Tubeでも見るような軽い気持ちで見ている自分がどこかに潜んでいないかと不安だった。

20180819_01続きを読む »

旅の窓

 塵で白くくすんだ道路、富强と書かれたボロボロの塀、鼻を衝くゴミ箱の匂い、駐車禁止の看板の隣に駐車された車、全力で飛んだら手が届きそうな電線、一種の威圧感さえ感じさせる灰色の集合住宅、建物の隙間から威容を誇る紫峰大厦。毎朝眠い目をこすりながら歩く通学路は、少し立ち止まれば色々なことを伝えようとしてくる。image2

 私は所謂観光地に何も感じない。風光明媚な街並み、は現代になってから古風に改修されたものだ。博物館にあるのは建築家のセンスだけで、展示物はいわばアンティークの装飾品でしかない。浅草に行った外国人が「It’s Japan.」と言っていたら私は「It’s not Japan.」と答える。“魅せる”ために作られた物に対しては“魅せられる”ことしかできない。あくまで受動態であって、受動体験である。続きを読む »

雨とYシャツと文化政策

この日は旧暦の七夕であった。現代中国では恋人たちの記念日とされているらしく、この日を控えて若者たちは、日本におけるクリスマスのように浮き足立つそうだ。が、この日は折悪く台風に襲われ、尋常ではない大雨の1日に終わった。せっかくの逢瀬の日を水浸しにされた織姫と牽牛、そして中国全土の若き恋人たちのことを思うと哀惜の念に堪えない。

一方私はといえば、前日夜に食べた刀削麺のトマトスープがひっかかったYシャツを洗濯する必要に迫られていた。ゆえに、午前の中国語の授業後、そんな暴風雨のなか、シャツ1枚を干すためだけに、地下にランドリーのある講義棟とホテルの間を人より1回多く往復しなければならなかった。ずぶ濡れで、しかし意地で、楽しみにしていた午後の英語による講義と南大生との交流会に向かった。

Yao Yuan先生による今回の講義のテーマは “History Preservation”。文化財保護、とでも訳せばいいのだろうか、先生のご専門だそうだ。私は個人的に文化行政に興味があるので、聞いていて大変勉強になった講義だった。講義のなかで私が特に印象深いと感じた言葉がある。続きを読む »

人と社会

南京に来て12日が経った。こちらでの生活にも大分慣れてきて,ふとするともう随分前からここに住んでいるかのような錯覚さえする。周りの学生たちが次々とお腹を壊したり熱を出したりしている中,自分は至って健康である。これは彼らが言うように自分の両親の実家が中国で,何度も中国に滞在したことがあるからなのだろうか。

午前中はいつも通り中国語の授業。幼い頃から中国語が普通に聞こえる環境で育ったにも関わらず努力を怠ったおかげで日常会話が精一杯なので,先生の話す中国語を聞き,中国語で発言することで正しいコロケーション,適切な言い回しを会得することに集中する。基本的に日本語がメインだった大学での授業と比べると密度の濃い学習ができていると思う。授業終わりにはすっかり行きつけになった小籠包が売りのお店で台湾風そぼろあんかけご飯を食べた。南京の食の特徴として中国各地の料理や台湾料理,日本料理など様々な土地の料理が食べられることが挙げられると思う。ただ,色々な地域の料理があるとはいえ,どれもどこか味が似通っていて南京人の嗜好を感じることができる。20180816-01

午後には滞在しているホテルから自転車で10分ほどの所にある映画館に一人で映画を観に行った。観たのは先生の勧めてくださった『我不是药神』だ(まさか次の日に全員で同じ映画を見ることになるとは思わなかったが…)。中国で2014年に実際に起きた白血病治療薬の密売事件を元にした映画で,大衆向けに娯楽要素を多く散りばめているものの,薬をめぐる法整備の問題はもちろん,金銭観や生きる意味など色々と考えさせられる映画だった。映画中で強く印象に残った台詞があった。続きを読む »

発展の原動力

このプログラムでは歴史的な場所を訪れる機会が比較的多い。しかし、私は理系であり世界史を系統だって学んだこともないため、話についていけず一抹の焦りを感じることも常である。しかし私の学習能力には限界があり、学ぶことに取捨選択が必要となる。その時に私が学習・考察の対象として選ぶのは、第一に私が関心を持つ現在の数面とそこに強い影響を及ぼしている過去の一部分、次に日本人として学ぶべき歴史である。そのような観点からこの日の体験を記述してみようと思う。

今日の午後、私たちは苏宁という会社、科挙博物館、夫子庙に行った。この中ではやはり苏宁の訪問が一番興味深かった。苏宁は1990年に創立された会社でオンライン店・実体店の形で多様な物品を販売しているほか、金融や不動産・スポーツなど幅広い分野に事業を展開している。この会社の事業に対して、私は中国の文化に即して発展したと思しき点を見出した。それは顧客の個人情報をかなり把握していることである。店舗では顔認識の技術を用いて性別や年齢の情報を取得するほか、会員かどうかも認識している。果たして同じことが日本で受け入れられるだろうか。私は中国がある程度管理された社会であった時期があったからこそ、許容されているのではないかと考える。またこの会社は次々と新たな事業を展開している。中には失敗する事業もあるのだろうが、新しいものに対する貪欲さがあると感じた。日本と中国では経済の発展段階が異なっているため単純な比較はできないが、このような会社が中国に存在する限り、かつて築いた地位に胡坐をかいている日本企業が淘汰されつつあるのは必然だと思う。例えば、日本人は往々にして日本人の繊細さにプライドを持つが、この会社の倉庫では機械を用いて2㎜の誤差で荷物の積み上げを行っていて、85%の人員削減を実現している。日本の会社も中国が後発という考えを捨て、中国から学ぶ時代になりつつあるのではないだろうか。image1

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「同じ」を楽しみ、「異なる」を楽しむ

外国を歩くとき、日本と異なるところを見つけるとワクワクする。しかし日本と同じところを見つけるのもまた楽しい。いま私たちが訪れている中国南京は日本と同じところ、異なるところがそれぞれ豊富で実に面白い。今日814日もそんな面白さに満ちた1日であった。

 いつも通り、午前中の授業から一日が始まる。中国語の教科書を使った中国語の勉強ではあるが、毎回“読んで訳して終わり”という授業はない。使える中国語を使って自分の経験や生活、考えを共有する。あくまで中国語の練習ではあるが、どこに新たな気づきのチャンスがあるかわからない。今日は「あらゆる職業の、条件・長所・短所は何か?」。先生と生徒が自由に発言する中で、「医師の長所は人に尊敬されること、短所は責任が大きいところ」「警察官に必要な条件は体が丈夫なことと気持ちが強いこと」、頷ける言葉が並ぶ。「先生は保護者に苦労する」ところも共通していた。一方で「政治家の長所は人に尊敬されること」「弁護士の短所はとても忙しいこと」と言われると、私を含めて東大生の数人は首を傾げてしまった。これはどちらかというと私たちの親の世代のイメージとマッチしているのではないだろうか。だとすれば、中国もこの先数十年かけて同じ道を通るのか。問題発言ばかりが目立ち、肝心の活動が透明化されない政治家。バッジがあるのに仕事がない弁護士。どうして日本はこうなったのか。それらの問題を考察し、中国を含む他の国々と共有することが、比較的早い段階で発展を経験し停滞を迎えつつある日本の役割なのかもしれない。続きを読む »