耳をすませば

私は、海外に行くたびに決まってすることがある。それは、その国の公園や出店などごくごくローカルなところで地元の人々をさりげなーく観察することである。どんな会話をしているのだろうか。どんな活動をしているのだろうか。普段生活している時は気にならないような部分にあえて注目してみると、ニュースや人伝えでは伝わり切らないその国の特徴が少しずつ露わになってくるのである。私はまさにこれが、現地に行って生活する人のみが体験できる特権であると思っている。

勿論この南京研修でも、その「人間観察」は私の毎日の密かな楽しみとなっている。

南京研修も残り僅か3日となってしまった本日まで私は南京市内の多くの場所に訪れ、その場の雰囲気に酔いしれながら人々を観察し、人々と触れ合ってきた。

そこで私はどこかに行くたびに思うのだ。

「人が集まっているところには、音楽が流れている」と。

例を挙げよう。

本日は揚州への一泊二日の旅行という研修中の最後のビッグイベントの一日目である。

夕方から夜にかけて、私は研修の仲間とホテルの近くの川に足を運んだ。灼熱の太陽が容赦なく日光を降り注ぐ昼間とは違い、夕方ごろは暑さも和らぎ過ごしやすい。涼しい風を受けて自分の降ろした髪の毛が揺れて顔に触れるのをくすぐったく感じながら美しい川辺を歩いていた。

その時、遠くから綺麗な二胡という中国古来の楽器の音色を聞こえて来たのだ。その音色に吸い寄せられるように歩を進めていると、川辺付近の開けた空間にたどり着いた。

誰かが楽器を弾いているのかと思いきや音は簡易的なCDプレイヤーから流れていた。そしてそのCDプレイヤーの周辺には、40〜60代くらいの地元のおじさんおばさん15組くらいが音楽に合わせてウォルツのような踊りを幸せそうに踊っていたのだ。しっかり息を合わせて踊っているペアもいれば、ただ手を繋いでユラユラと揺れているペアもいた。

 

これを目にした私は無性に「一緒に踊りたい」という気持ちが膨らんだ。近くにいた研修生と共に踊る人々の間に入り、おぼつかない足取りで踊リ始めたのだ。しかし私たちが突然乱入したことはあたかも自然なことのように踊っている人々には受け入れられた。周りからの温かい雰囲気に包まれて踊ることは至福の時間だった。

 

このように、中国の川や湖の畔や公園などの広場では必ずと言っていいほど音楽が流れている。実際に中国の古来の楽器を演奏する人や公開カラオケをする人もいれば、上記で述べたように音楽に合わせて踊る人もいる。音楽の種類は様々である。40〜60代の方々が集まっているところは古来中国風の音楽が多く、若者が踊ったりスケートボードをしている場所ではポップな音楽が流れていることが多いと感じた。

踊りも多種多様だ。ペアで行うものもあれば扇子を使うもの、ただジャンプしているだけのもある。全ての踊り共通しているのは、比較的簡単な動きであって、参加したければ自由に参加することができる、ということだ。ちなみにこの踊りは中国では「广场舞」と呼ばれており、主に健康のために行われている昔からの習慣らしい。

 

音楽には人を集める力がある。

観察していると、演奏や演技をする人の周りには観客の輪ができ、踊る人々には興味を持った人が参加していく。同じ空間で似たような踊りをしたり、観客となるだけで不思議と一体感が生まれる。一曲踊り終わると共に踊っていた人々がお互いに話し合い出す光景を私は何度も目にした。音楽が日常的に流れているものであり、音楽を使った活動も当たり前のように行われていることは観察していると明らかである。音楽が人々を繋げる役割を持っているのだと私は感じる。

 

音楽が流れる場所の周辺では人々の笑顔が多く見られる。中国人の生活に染み付いているこの習慣から、中国人の他者に対する温かみや空いた時間をどのように使っているかを垣間見ることができた。やはり五感を使って実際にその雰囲気に身を投じる「観察」は得られるものがある。

今でも耳をすませば、あの二胡の美しい音色が記憶の中から鳴り響いているのが聞こえるのだから。

 

(A.Y)

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