“在来中国之前,你对中国的想象是怎样的?”
「中国に来る前、中国に対してどのような想像をしていましたか?」
これは、中国の高校生が私たちに聞きたいと用意していた質問だ。
この質問を耳にしたとき、私は言葉に詰まってしまった。
私にとって、中国のイメージをあげることは、難しくなかったはずだった。
パンダ、餃子…一般的に挙げられる中国のイメージは豊富であるから、当たり前かもしれない。
しかし、あるものについて「一般的に」通用しているイメージが良いものだけではないのも事実である。
さらに、その一般的なイメージはさまざまな情報がさまざまな意図の下で飛び交う世界で形作られたものに他ならない。
せっかく直接交流する機会に巡り合ったのに、「中国といえばパンダ!」という陳腐なイメージを伝えるのもつまらないし、相手の気分を害すのはもっての外だろう。
そんなことをぐるぐると考えているうちに、何と答えてよいかわからなくなってしまったのだ。
(ちなみに、高校生が日本語を使って教えてくれた日本のイメージは、「街が綺麗」「日本人は親切」といった、いかにもなイメージだった。
単純に思えるこの質問に奥深い答えを考え出すのはきっと不可能に近いし、想定されていたのは単純な答えなだったのだろうと思う。)
彼らとの交流は研修9日目。この日報は17日目になる。
胸を張って発表できる中国の印象はまだわからない。
自分が肌で感じたリアルな印象は今までの私に欠けていた部分であろう。
しかし、自分の目という狭隘な世界だけにとらわれることなく「さまざまな情報がさまざまな意図の下で飛び交う」広い世界を正しく利用することが求められているように思う。
ひとまずこの日報では、実際に訪れた狭い範囲で発見した中国らしさを述べていく。
舞台は紅山動物園だ。私たちが宿泊するホテルの最寄り駅から地下鉄1本で30分の距離にある。
まず出迎えてくれるのは、植物で作られたキリンのオブジェだ。たてがみや網目模様も表現されている。
南京の街を歩いていても生きた植物を用いた豪華なオブジェがいくつか見られる。
(ネットで検索すると他の都市にもきらびやかなものがあることがわかった。広い世界を利用できた気がする。)
都市美化の一端を担っているのだろうかと考えさせられた。
次に目に入るのは、歩道に並べられた石のオブジェで、見覚えのあるネズミなどのイラストが描かれていた。
園内の壁や展示にも見覚えのある動物が登場しており、「ルーズ」な一面を垣間見たように思った。
しかし、普段街を歩いていてそのようなものを多々見かけるようなことはなかったし、自分が見たものはどの国にも共通する観光地あるあるに過ぎないのかもしれないとも思った。
さらに園内を進むと、ベンチに集まってトランプをする年配の方々の姿を見つけた。5、6組がそれぞれのテーブルでトランプに興じているのだ。
え、ここで?と思わされることは確かに他の場面でもあった。
街中で音楽を流してダンスをする广场舞がその好例だ。
人々の楽しさは場所を選ばない、という傾向があるのだろうか。そのような楽しさには周囲を巻き込む力がある気がして、羨ましくなった。
最後は、やはり「中国といえばパンダ!」ということでパンダの平平の写真でこの日報を締めくくります。