2016年8月27日 南京を後に、その先へ

・修了「式」

早いもので南京サマースクールも最終日を迎えた。当初想像していた3週間よりも、ずっと濃密で、時の流れの速い3週間だったように思える。その3週間の活動を締めくくる、南京サマースクールの修了式が、本日の夕方6時に執り行われた。修了「式」と言っても、所謂「式」は、食事の席で行うのが中国文化。この日の修了式も円卓に並んだ豪華な食事を取り囲みながら、3週間授業でお世話になって先生や、生活を共にしてきた同学たちと、和気藹々と歓談しながらのものであった。授業などの思い出話を先生や同学としたり、修了テストの出来栄えを老师が話してくれるのをドキドキしながら聞いたりなどしていると、南京大学の偉い先生がマイクを持って話し始めた。

「これから、修了証を授与します」

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2016年8月26日 水郷

朝方から垂れこめていた雲は午後になるとついには雨をぱらつかせ始めた。窓のすぐ横を、トレーラーが12の車輪から水煙を噴き出しつつ疾走していく。我々のバスは蘇州を出発して一時間ほど。南京までは長くてあと三時間というところらしいので、丁度いい機会に今日一日を振り返ってみることにする。

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2016年8月25日 疲れが見える蘇州二日目

蘇州旅行二日目。もうすでに南京に来てから19日目というのだから日の流れというものは早いものである。この前日に三年生からの進学先が決まる進学選択の結果発表があり、筆者は無事内定が決まり少しほっとした朝を迎えた。

朝起きて朝食会場に向かうと、皆の顔に少し生気がない。中国語で言えば、“没有精神”といったところであろうか。先日の長距離の移動に加えて、このサマースクールも終盤に差し掛かっているということも影響しているのだろう。筆者も少し疲れが出ているのを感じながら、蘇州の名所の観光が始まった。

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2016年8月24日 スッポンの頭とは?

この字は何なんだ…?

前日にすべて中国語で書かれた旅行の行程表をもらった筆者が最初に抱いた感想である。仕方なく見様見真似で電子辞書に手書き入力して調べてみるとスッポンという字らしい。筆者はますます困惑してしまった。スッポンの頭とは…?

さて、南京大学での授業は昨日で終了し、今日からは無錫・蘇州への2泊3日の旅行である。初日の今日は、南京を出て無錫へ行き、その後蘇州へ移動して宿泊という行程であった。午前8時過ぎ、前日の夜更かしがたたり眠い目をこすりながら出発。バスに乗るとすぐに眠りに落ちてしまい、目が覚めるとサービスエリアに着いていた。休憩を取ったのち再び出発。ガイドさんの説明にしばし耳を傾け、それなりに聞き取れることに嬉しくなる。中国滞在3週目にしてようやく少し中国語に慣れたのかもしれない。そんなことを思っていると今日の1つ目の目的地に到着した。そう、タイトルにある鼈(スッポンの漢字表記)頭渚景区である。入り口で歓迎のメッセージと「社会主義核心的価値観」なる10個ほどのスローガンを交互に延々と流すテロップに複雑な気持ちを抱きつつ、このいささか変わった名前の公園に入った。

鼈頭渚景区は、琵琶湖の約3倍もの面積を誇る太湖という湖を中心に構成される公園である。湖に突き出る半島の形がスッポンの頭に似ていることからこの名前が付いたらしい。公園に入るとまず昼食をとった。無錫は「三白」(銀魚、白魚、白蝦)を初めとする名物料理が多く、また料理が比較的薄味なこともあっておいしく頂いた。昼食の後は船に乗り、湖に浮かぶ三山という島を訪れた。ここは老子や孔子、釈迦牟尼などたくさんの像があり、さながら歴史テーマパークという様相を呈していた。ただ、これらの像は雑然と存在しており、どのような意図や経緯でこのような構成になったのかは判然としなかった。また、三山には小高い丘があり、我々はちょっとした登山もどきを楽しんだ。丘を降りて少し歩いたところに縁結びスポットのようなところがあり、そこで恋人のいる同学を茶化していると船の出発時間が来て三山を後にした。

そのあとは鼈頭渚景区を散策した。この公園は、1980年代に「無錫旅情」という演歌が大ヒットしたことで日本人に広く知られるようになったらしく、公園内に「無錫旅情」の歌碑があった。だが平成生まれの我々には知らない歌であり、歌碑を見ても特に何の感慨も生まれなかった。ジェネレーションギャップというものである。ただ、「無錫旅情」は知らずとも、この公園はまさに風光明媚なところであった。しかし、1つ気になったのが、太湖の水の色である。まるで絵の具でも撒いたのかと思うくらいに一面緑色なのだ。近年の中国の急速な経済発展の裏の環境問題が垣間見えた。

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また、ここは日中友好の象徴として毎年桜の植樹が行われており、今や中国随一の桜の名所となっている。日中関係は政治的な面から見ると、絶えず対立しているように思えてしまうが、実際に中国に来てみて、民間レベルではそれほど反日感情が強いとは感じなかった。隣国である以上、政治的対立が起こることは避けられないことである。しかしだからと言って、多くの国民が相手の国に対して漠然とした負の感情を持ってしまうのは、今後日中関係を発展させていくにあたって大きな障害となるであろう。筆者自身、このサマースクールに参加するまでは中国全体に対してなんとなく怖いイメージを持っていたが、このイメージはほぼ解消された。現在は大気汚染などの問題もあり中国旅行に出かける日本人は減っているそうだが、筆者としては一人でも多くの日本人に実際に中国を見てもらいたい。もちろん、中国を実際に訪れたら必ず親中国的な考え方を持つようになるというものではなく、むしろ中国に対して受ける印象は個人によって異なるであろう。しかし、相手の実情を知らずに相手のイメージを勝手に作り上げるのは、今後の日中関係にとって極めて危険なことだと思う。

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午後4時頃に鼈頭渚景区を出発し、蘇州の華僑飯店というホテルに移動、ホテルで夕食を取った。今日は進学選択の第一段階内定者発表の日であり、夕食の席はその話題で持ち切りだった。このサマースクールに参加している同学たちも、秋からはそれぞれの専門分野へ分かれていく。分かってはいたもののこの現実を突きつけられるとやはり心に一抹の寂しさが生まれる。このサマースクールを通して新しく知り合った同学も居れば元々知り合いではあったもののより仲を深められた同学も居る。鼈頭渚景区の「スッポンの頭」にあたる岩場でくつろいでいた時には、誰ともなく「青春だなあ」という声が上がった。夕食後に同学たちとホテルの周りを散策した時には帰り道が分からなくなり、皆でああでもないこうでもないと言い合いながら何とかホテルへ帰って来た。彼らとこうして何気ない時間を過ごせるのもあと僅かだということは残念でならないが、専門課程に進んだ後も、彼らとの関係を大事にしていこうとしみじみ思いつつ、このあたりで筆を置こうと思う。(S.T.)

2016年8月23日 東大生のいろいろな表情が見られた一日

 

・熱心に勉強・活動に取り組むときの表情

滞在17日目, この日は南京サマースクールで最後の授業日であり, 最終試験が実施された。試験は3分間のスピーチと筆記試験の2種類の試験が課された。出題範囲が広く難易度も高いため、試験前の朝食の場や教室には, これまでの通常授業の日とは異なり, それとなく緊張感が漂っていた。東大生の多くは試験の点数に非常に関心が高く, 「良い結果を残さなければ!」というプライドが緊張感を漂わせていた原因の1つであることは間違いない。

試験終了後, 実際周りのみんなに手ごたえを訊くと, やはり悪くないと答える者が多かった。十分な準備のもと試験に臨んだのかと思い, 「どれくらい勉強したの?」と訊くと, 「1, 2時間かな」と余裕そうにみな答える。仮に長時間しっかりと試験勉強していたとしても, 全然していないと余裕ぶるのが東大生のよくある返答なのかもしれない。しかしそうは言うものの, 確実に裏では猛烈な勉強をしているのである。つまり, 他のみんなに熱心な姿をあまり見せないようにしながら勉強しているのである。私が思うに, これが東大生によくある東大生なりの勉強への熱心な取り組み方と言っても過言では無かろう。彼らの言葉は決して言葉通りの怠惰さを示しているのではないのである。

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2016年8月22日 散歩をして地元民と触れ合おう

 

今日も早起きをして、ゆったりと早朝の粋を味わっていた。そして静かに時が過ぎて、ふと気づいたら自分はベッドの中にいた。もはや日課となった二度寝である。食堂に駆け込んでおかゆとキャベツをかき込んで、小走りで教室へと向かった。朝からてんやわんやだけれど、8時からの授業もなかなか粋なもので、早起きの習慣がついて非常によろしい。こちらでの中国語の授業はわりと楽しい。語彙もそこそこ増えた。先生は優しい人で、僕は叱られるより褒められたいタイプなので、少しうれしかった。最近は、同級生たちは仲間内で、そして、本場の中国人たちとも中国語ジョークを言い始めるようになり、徐々にそのキレも増しているようにも思えた。外国語で面白いことを言える友人たちを見ているとぼくはひどく羨ましがった。南京での生活は、午前は中国語の授業があり、午後はほぼ毎日何らかの「活動」に従事しなければならず、自分の時間が確保されていないので、「活動」の無い今日という日は貴重であった。今日は外へ出て散歩がてらキャンパスの周りを散策することにした。

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2016年8月21日 複雑な思い

 

あの場所のことを何年後、何十年後に思い出すとしても、真っ先に頭に浮かぶのは人混み、汗の臭い、そして人々の話し声、子供達が親に尋ねる声の響きでろう。時折”riben”(中国語で日本という意味)という言葉が耳に入ってくる度に、どきっとしたことも思い出すだろう。私が今日どこに行ったかお分かりになるだろうか。「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」(邦名:侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」である。
南紀大虐殺記念館
最寄り駅から出て、まず人の多さに驚いた。まだ朝の9時50分だというのに、行列ができている。そばには小さな中国国旗を売っている人もいた。博物館の入り口に至るまでの場所には日本軍から逃げる人々、殺された人々の彫像が設置されている。説明文では「悪魔」=日本軍の残酷さが描かれている。このような表現は予想の範囲内とはいえ、胸に迫るものがあった。もちろん当時の日本軍と日本人は違う存在であるはずであるが。

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2016年8月20日 糟糕!

はじめは永遠に続くのではないかと思えるほど長かったこの南京での生活も、気が付けば残すところあと一週間となり、時の流れの速さを感じずにはいられない。

今朝もいつも通り7時に朝食に向かうと、いつもなら10人弱はいるはずの同学が一人しかいなかった。今日は授業もなく、午前中は何も予定がないので、皆知らず知らずのうちにたまっていた疲れをとるため存分に睡懒觉していたのだろう。私は体内時計が出来上がってしまっていたので、目覚ましもなく起きてしまったが、もう少し惰眠をむさぼりたかったとも思った。

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2016年8月19日 書くネタを探しに銭湯へ

今日はバイクの日あるいは俳句の日らしいですが、南京は相変わらずのバイクの多さ、そして今日は南京に来て個人的に途中まで一番特徴の無い平凡な日だった。美人の先生の授業を受けて、昼は4元もするガーゼみたいな肉料理を食べる友達を横目で見ながら、0.5元の白米の方がコスパ最強と思いながら二杯目に手を出す。午後からは特別教師の講義、特に今日は中国社会といういかにも理系の僕には理解できないにおいしかしない。授業で寝ないように昼寝をしようと思ったら、ルームサービスのおばさん方が躊躇なく進入してきた。アメニティの交換だけかと思ったがなぜか高速中国語話してくる。ベッドメイキングするからベッドから出ろ、と。ありがたいけど少し日本と違う文化に驚いた。授業は、听不懂だった。先生の発音がなまってたのもあって全然聞き取れなかった。たぶん聴覚障害者のために健常者は手話を勉強すればいい、ということを言ってたと思う。やっぱり中国語をもっと勉強しよう。みんな先生がオール阪神に似ていると言ったが、僕は蛭子さんにも似ていると感じた

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2016年8月18日 南京大学生と散策

・中国人と「中国人」

今日の午後はいくつかの班に分かれ、南京大学の方たちと一緒に出かけた。先週私たちの班は南側の旧市街地を歩いたが、今日は北側の新しい街の方へ繰り出した。私たちと一緒に行動してくださった方の一人は都市開発を学んでいて、南京市内に詳しいからとガイド役を買って出てくれた。もう一人の方は日本語が少し話せたため、日本語と中国語、時々英語を使いながらなんとかコミュニケーションを取った。

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