2016年8月24日 スッポンの頭とは?

この字は何なんだ…?

前日にすべて中国語で書かれた旅行の行程表をもらった筆者が最初に抱いた感想である。仕方なく見様見真似で電子辞書に手書き入力して調べてみるとスッポンという字らしい。筆者はますます困惑してしまった。スッポンの頭とは…?

さて、南京大学での授業は昨日で終了し、今日からは無錫・蘇州への2泊3日の旅行である。初日の今日は、南京を出て無錫へ行き、その後蘇州へ移動して宿泊という行程であった。午前8時過ぎ、前日の夜更かしがたたり眠い目をこすりながら出発。バスに乗るとすぐに眠りに落ちてしまい、目が覚めるとサービスエリアに着いていた。休憩を取ったのち再び出発。ガイドさんの説明にしばし耳を傾け、それなりに聞き取れることに嬉しくなる。中国滞在3週目にしてようやく少し中国語に慣れたのかもしれない。そんなことを思っていると今日の1つ目の目的地に到着した。そう、タイトルにある鼈(スッポンの漢字表記)頭渚景区である。入り口で歓迎のメッセージと「社会主義核心的価値観」なる10個ほどのスローガンを交互に延々と流すテロップに複雑な気持ちを抱きつつ、このいささか変わった名前の公園に入った。

鼈頭渚景区は、琵琶湖の約3倍もの面積を誇る太湖という湖を中心に構成される公園である。湖に突き出る半島の形がスッポンの頭に似ていることからこの名前が付いたらしい。公園に入るとまず昼食をとった。無錫は「三白」(銀魚、白魚、白蝦)を初めとする名物料理が多く、また料理が比較的薄味なこともあっておいしく頂いた。昼食の後は船に乗り、湖に浮かぶ三山という島を訪れた。ここは老子や孔子、釈迦牟尼などたくさんの像があり、さながら歴史テーマパークという様相を呈していた。ただ、これらの像は雑然と存在しており、どのような意図や経緯でこのような構成になったのかは判然としなかった。また、三山には小高い丘があり、我々はちょっとした登山もどきを楽しんだ。丘を降りて少し歩いたところに縁結びスポットのようなところがあり、そこで恋人のいる同学を茶化していると船の出発時間が来て三山を後にした。

そのあとは鼈頭渚景区を散策した。この公園は、1980年代に「無錫旅情」という演歌が大ヒットしたことで日本人に広く知られるようになったらしく、公園内に「無錫旅情」の歌碑があった。だが平成生まれの我々には知らない歌であり、歌碑を見ても特に何の感慨も生まれなかった。ジェネレーションギャップというものである。ただ、「無錫旅情」は知らずとも、この公園はまさに風光明媚なところであった。しかし、1つ気になったのが、太湖の水の色である。まるで絵の具でも撒いたのかと思うくらいに一面緑色なのだ。近年の中国の急速な経済発展の裏の環境問題が垣間見えた。

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また、ここは日中友好の象徴として毎年桜の植樹が行われており、今や中国随一の桜の名所となっている。日中関係は政治的な面から見ると、絶えず対立しているように思えてしまうが、実際に中国に来てみて、民間レベルではそれほど反日感情が強いとは感じなかった。隣国である以上、政治的対立が起こることは避けられないことである。しかしだからと言って、多くの国民が相手の国に対して漠然とした負の感情を持ってしまうのは、今後日中関係を発展させていくにあたって大きな障害となるであろう。筆者自身、このサマースクールに参加するまでは中国全体に対してなんとなく怖いイメージを持っていたが、このイメージはほぼ解消された。現在は大気汚染などの問題もあり中国旅行に出かける日本人は減っているそうだが、筆者としては一人でも多くの日本人に実際に中国を見てもらいたい。もちろん、中国を実際に訪れたら必ず親中国的な考え方を持つようになるというものではなく、むしろ中国に対して受ける印象は個人によって異なるであろう。しかし、相手の実情を知らずに相手のイメージを勝手に作り上げるのは、今後の日中関係にとって極めて危険なことだと思う。

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午後4時頃に鼈頭渚景区を出発し、蘇州の華僑飯店というホテルに移動、ホテルで夕食を取った。今日は進学選択の第一段階内定者発表の日であり、夕食の席はその話題で持ち切りだった。このサマースクールに参加している同学たちも、秋からはそれぞれの専門分野へ分かれていく。分かってはいたもののこの現実を突きつけられるとやはり心に一抹の寂しさが生まれる。このサマースクールを通して新しく知り合った同学も居れば元々知り合いではあったもののより仲を深められた同学も居る。鼈頭渚景区の「スッポンの頭」にあたる岩場でくつろいでいた時には、誰ともなく「青春だなあ」という声が上がった。夕食後に同学たちとホテルの周りを散策した時には帰り道が分からなくなり、皆でああでもないこうでもないと言い合いながら何とかホテルへ帰って来た。彼らとこうして何気ない時間を過ごせるのもあと僅かだということは残念でならないが、専門課程に進んだ後も、彼らとの関係を大事にしていこうとしみじみ思いつつ、このあたりで筆を置こうと思う。(S.T.)